こんばんは。中坪悦子です。

本日16年間勤めた会社を退職しました。この16年、いろんなことがありました。私の所属している東京事業所も3回移転しました。そして部署も10回ほど移動しました。上司もその度に替わりました。いろんな人の入社、退職を見届けてきました。今、成果を上げて優秀だと言われている人のどん底の時期も知っていますし、その逆で今どん底にいる人もかつて物凄い成果を上げていた時期も知っています。自分自身もそうでした。プロジェクト賞や優秀個人賞など連続して取っていた時期もあれば、成果が上がらずにくすぶっている時期もありました。出向も3社経験しました。何度も退職しようかと悩んだこともありました。しかし、わが社は昔ながらの終身雇用的な風土が残る会社のため、長い目で人を見てくれる温かさがありました。それ故に、人生のバイオリズムがあってもクビになることもなく、16年という長い年月、雇用して頂きました。今回の挑戦で準備期間も残った有休をすべて消化させてもらいました。感謝しかありません。

日本の終身雇用制度の良さは改めて素晴らしいと思います。「社員は家族」そういう中小企業の社長は多かったと思います。バブルの時代はあのトヨタ自動車の社長の年収ですら3,000~4,000万円だったそうです。会社が儲かったら、社員に還元していたため、ボーナスで300万円、400万円もらう社員もいたそうです。大企業でさえも、会社は従業員のもの。そういう風土があったのです。

いつからか、日本は株主のためになりました。利益至上主義で短期で成果を求められるようになりました。そのため、中小企業では人材教育をする余裕がなくなりました。派遣社員を使って、繁忙期だけ短期雇用するようになりました。また、愛社精神を前面に出すとブラック企業といわれるようになりました。社畜という言葉が生まれました。会社人間であることが恥ずかしいことだという風潮になりました。厳しく仕事を教えてくれる上司はパワハラ上司と言われるようになりました。働き方改革で仕事が楽しくてもっと仕事をしたくても残業が出来なくなりました。

いつから日本はおかしくなってしまったのでしょうか?

私は1985年のプラザ合意からではないかと思っています。当時の日本はバブル景気の真っただ中でした。世界の企業の時価総額ランキングのTOP20に日本企業が14社も入っていました。それが、プラザ合意により、先進5か国と中央銀行総裁が集まった会議で、ドル安への舵切りが行われました。そのため、日本は急激な円高により、輸出が減少、国内の景気は低迷することになり、そこから今日までの40年間で日本の経済は右肩下がりになっています。

昭和の時代の強い経済を取り戻し、バブル時代のような若者たちが日本企業に夢を抱いていたあの頃。今の若い人たちにも経験させてあげたい、と思っています。今、若者たちの間では昭和が流行しているそうです。昭和レトロ、バブルダンス、バブルファッション、1980年代の音楽やドラマなど。「エモイ」そうです。潜在的に昭和の魅力を感じてくれていることが昭和大好きな私としては嬉しいです。

昭和の良いところを残しつつ、それを現代版にアレンジした政策を作っていきたい。大田区の政策に昭和のエッセンスを取り入れていきたいと思います。昭和の香りが残る蒲田ならそれが出来る!と確信しています。

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